大倉山と獅子ヶ谷

晴天になかなか恵まれなかった先週の3連休の中日、晴れ間が見えたチャンスに
梅を見に行こうと思い立って外に出かけた。

 

 

東急東横線大倉山駅を出てすぐ西側の急な坂道を上ったところにある大倉山公園へ向かい、柔らかい早春の日差しを浴びならの気持ちよい散歩。名所となっている梅林の花はもう散り始めていたが、高台からは富士山や武蔵小杉、新宿副都心のビル群を眺めることができた。

 

 

 

擬洋風建築ならぬ擬古代ギリシア建築(公式ではプレ・ヘレニック様式と呼ばれているらしい)の大倉山記念館はなかなか見ごたえある建物。「大倉山」という地名もこの大倉山記念館を建設した実業家・大倉邦彦氏の名前に由来するが、元々この辺りは「太尾」と呼ばれていたらしい(ちなみにジャンプ競技場で有名な札幌の大倉山や神戸の大倉山駅は同じ実業家の大倉喜八郎の方にちなんで命名されたらしいが、大倉邦彦と大倉喜八郎は親戚でも何でもない無関係らしい。"大倉"違い。紛らわしい…)。

 


大倉山駅前の商店街はこの記念館に合わせてか古代ギリシア建築を模した商店が軒を連ねていてハイソな街の演出に一役買っていた。流石は街づくりに定評のある東急である(東急の仕業なのか?)。

 

 

鶴見川まで足を延ばしたら引き返し、今度は東側へ。
途中師岡熊野神社に立ち寄り、坂を上って熊野神社市民の森を歩き、また下ってトレッサ横浜近くで車の往来激しい環状2号線を渡ると獅子ヶ谷市民の森の入り口。ここからさらに一山超えると突然立派な古民家の敷地に入る。江戸時代末期に建てられたとされるこの旧横溝家住宅、主屋はもちろん長屋門まで人が住めそうなくらい立派で、しかも蚕小屋や蔵も保存されていてちょっと感動した。

 

 

さて、旧横溝家住宅のあたりで行政区画は横浜市港北区から鶴見区に移っているのだが、風景は大倉山の瀟洒な住宅街からいつの間にか畑や廃棄物処理、建設会社の事務所などが並ぶ、のどかな谷戸地に変わっていた。

 

獅子ヶ谷市民の森はさらに谷戸地を挟んで反対側の丘陵にも広がっており、この山を越えたところにある二ツ池公園まで到達したところで引き返した。最後は獅子ヶ谷の尾根道を伝って菊名駅に到着、日はとっぷり暮れていた。

 

 

大倉山から獅子ヶ谷方面まで歩いてみて(同じような横浜の田舎に住んでいる自分には見慣れた光景だが)露骨な落差にはちょっとびっくりした。しかし、大倉邦彦が後に街のシンボルとなる建物を建築し、東急が街づくりに参画していなければ大倉山も元の「太尾」と呼ばれ、獅子ヶ谷と大差ないのどかな片田舎のままだったかも知れない。


街のイメージなんてそんなものだし、一方でだからこそイメージが大事なのだとも言えそうだ。