氷河期底辺ITエンジニア、転職でキャリアップを試みる

IT業界の人材市場では長年「エンジニア人手不足」と言われていますが、それは一握りの天才・有能さん達の世界の話。難関大学の情報系の大学(院)を卒業したとか、Web系、SaaS企業で有名プロダクトの開発に携わった経験があるとか、上場SIer企業で数百人規模のプロジェクト切り盛りしたマネジメント経験があるなど、若くて優秀か、経験豊富な人達の話です。そうしたつよつよエンジニア、マネージャは今も各企業から引っ張りだこです。
では高齢でスキルも低く、マネジメントなどの経験もない、人脈もコミュ力すらもない無い無い尽くしのただの底辺エンジニアの需要は果たしてあるのでしょうか?そんなおっさんがキャリアップを目指して転職活動を始めてみると、どうなるのでしょうか?
これは、そんな未来のない男が分不相応な夢にかけた悪戦苦闘の記録です。

 

私のプロフィール

40代後半の氷河期世代、男性です。結婚もしていません。繰り返しますが、正真正銘何の専門性も社交性すらない、平均以下のド底辺ITエンジニアです。「底辺」というのは決して自虐や謙遜で言っているわけではありません。実は東大卒とか、テックブログにありがちな爪を隠してどん底から這い上がったアピールをする「ビリギャルメソッド」は一切使っておりません。
隠しても仕方が無いのでその一端を開示します。
まず学生時代の私は偏差値40台の公立高校出身の数学苦手なド文系で、大学には進学しましたが学部は人文系、専攻はなんと考古学でした。卒業はしましたがご存じ氷河期と私自身の無能さゆえ就職できず、5年間フリーターと無職の間を彷徨っていました。ようやく小さな出版社の編集として正社員採用されましたが、色々あってそこも3年で退職。IT業界を志しプログラマになったのは30歳を過ぎてからで、しかも数か月職業訓練を受けただけでこの業界に飛び込んでいくという(今思えばこれも)無謀なキャリアチェンジでした。
もちろん、こんな曰くつきを雇ってくれるまともな企業などあるはずもなく、1社目は都内某所の雑居ビルに事務所を構える怪しい派遣会社(実際グレーなことを色々やっていました)に潜り込んでのキャリアスタートでした。その後さらに2回転職しましたが、そこも月400時間超え長時間労働ブラックとかパワハラ同族経営などで、アレな中小企業ばかり。これまで名のある企業に所属した経験はありません。また、PMや管理職などのマネジメント経験を積めるポストを任される機会もありませんでした。これまでずっと万年ヒラです。

以上です。ざっくりしてますが、これだけで大体お察し頂けたのではないでしょうか。自分語りは長くなるのでこの辺にして(書いてて惨めな気持ちになってきました…)、また別の機会に譲りたいと思います。今回、改めて自分の職務経歴書を書き見返してみましたが、そのあまりの汚さに「こんなカス採用したいと思う企業はおるんかいな!」と我ながら呆れてため息をついてしまいました…。

ただ、資格の方はちょっと頑張りました。数学苦手な低偏差値のド文系が基本・応用情報やIPAの高度試験に合格したというのは中々ないんじゃないかと我ながらちょっと誇りに思ってます。惨憺たる経歴をカバーするため、無い頭をフル回転して必死で勉強して取りました。ただ、昨今の情報処理技術者試験を巡るゴタゴタを見ていると、本当に時間と全知力を賭けてまで挑む価値のある国家試験だったのか、分からなくなってきた今日この頃です…


転職のきっかけ

前職には積年の恨みつらみはありましたが、私怨に過ぎないものはここでは伏せておきます。

直接のきっかけは今年の初め、経営方針の変更によりリモート勤務が完全廃止となりフル出社を求められたことでした。オフィスは自宅から往復3時間の距離があり、通勤の負担は相当なものがありました。私は昨年来肩のケガのリハビリのため一部リモート勤務が許されていたのですが、病気だろうがケガだろうが全員毎日出てこいという強いお達しで、私にとっては事実上の退職勧奨でした(今年の初詣のおみくじが「凶」だったのは本当に伊達じゃなかったです)。

ここで色々粘ってこの会社にしがみつき続ける道も考えましたが、この先パワハラと安月給に耐え縁故と経営陣の胸三寸がすべての会社に奉公人として仕えても一生キャリアアップの機会はありません。技術スタックも超保守的、未だにDockerの導入すらできていないような開発環境でスキルアップも望めない状況でした。このまま他社で全く通用しないロースキルのまま50代になってしまったら本当にどこにも行けなくなります。また、現在の円安インフレが続く経済情勢の折、定期昇給が1円も無かったことも影響しました。物価は上がり続けるのに給料が全く上がらないので生活的にもジリ貧だったのです。

そもそも、最終的には転職してここから抜け出すことは自分との約束の一つでした。情報処理技術者試験の勉強をしていたのも、"その時"が来た時のための準備でしたが、それが思っていた以上に早く来てしまったに過ぎません。順番が変わってしまっただけ。年齢的にもこれ以上後回しにするのも不利になっていくだけ。どうせ足掻くならこの状況に対応し、残るより転職する方向に舵を切ろう。私は腹をくくりました。

 

転職の条件

  • 現職より年収を大幅にアップさせること
  • 会社の主たる事業が派遣・SESではないこと(自社開発か受託開発)
  • リモート勤務があるか、職住近接で通勤の負担が軽いこと(ワークライフバランス重視)
  • 同族経営とか、企業理念や会社の雰囲気が宗教とか自己啓発系ぽくない、まっとうな会社であること


職種はもちろん、ソフトウェア、Webの開発職です。さすがに今さら職種を変えるのはただでさえ困難な転職活動が無理ゲーになりますし、今まで散々嫌な思いをしたり酷い目に遭ってきましたが、ITエンジニアという仕事を嫌いにはならなかったからです。
とは言え、この歳で敢えてリスクを取って転職するのだから、現状よりまともな会社で、現状よりモダンな技術を採用している環境でスキルアップできて、現状より良い待遇の職に就きたいと思いました。困難な道のりになることは予想できましたが、妥協はしないと決めました。

 

転職活動をはじめて気が付いたこと

気付いたというか、元より平坦な道のりではないことは覚悟してましたが、その覚悟すら甘い見積だったことを痛感しました。「何も強みもない40代後半の転職は普通に厳しい」という、当たり前過ぎる現実がいきなり前に立ちはだかったのです。

まず、ほとんど書類選考に通りません。年齢を理由とした不採用は法律で原則禁止されているため各社色々と別の理由を考えてきますが、お祈りメールや仲介したエージェントの話から年齢と、年齢の割に経験が薄いのを嫌気されていることは容易に推測されるものでした。書類選考と同時に実施されるコーディングテスト、適性検査でもロースキルで要領のよくない私はバシバシ落とされましたが、中には最初に提示された合格条件を満たしたにもかかわらず「総合的な判断の結果」でお見送りされることもありました。ナンデ!?こんなに辛い思いをするなら初めから年齢制限を提示してくれた方がお互い時間の無駄にならないと思ったんですけど、どうなんでしょうね。もし年齢制限を徹底的に禁止したいのであれば、そもそも年齢や生年月日を履歴書・職務経歴書に記載すること自体を禁止するべきです。差別だからいけませんと言ったって、結局内定を出すかどうかは採用企業次第なわけだし、表向きだけ禁止してもね…と。

また転職回数が多く、それぞれの在籍期間も短かったこともネックになりました。僅かな確率で書類選考を通過し、面接にたどり着いたとしても、履歴書の空白期間や退職理由を一つずつ説明して欲しいと突っ込まれます。下手に取り繕ってもボロが出るだけなので正直ベースで話しましたが、苦しいやり取りの連続でした。しかし、それもこれも今まで自分の人生としっかり向き合わずセルフネグレクトしてきたツケと言えるでしょう。転職活動は自分の人生で今まで積み上げてきた実績を他者に厳しくジャッジされる場。試験が始まってから勉強して巻き返すことができないように、始めてからステータスの底上げはできないんですね。

同業他社ならITスキルはともかく業務知識はあるからワンチャンいけるんじゃないかと応募してみましたが、さらに意味不明な文言でお祈りされまくりました。この年齢で競合からやってくる転職者…何か理由ありに違いない、と思われたのかも知れません。まあ理由はありますよ…私が採用する側でも警戒はすると思います。競合避止義務は課せられていませんでしたが、余計なトラブルを避けたいというのもあったのかも知れませんね。

 

転職サイトや転職エージェントについて

今回はハローワークには一切お世話にならず、民間の転職サイトや転職エージェントをいくつか利用して活動を行いました。転職サイトは新卒以来、転職エージェントは初めての利用となったので、浦島太郎状態の私にとって現代の転職活動のスタイルには少々新鮮で驚かされました。
まず、企業の求人情報に対して「気になる」みたいなボタンがついており、それを押すと通知が相手側の採用担当に行き担当者からリアクションが来ることもあることです。いつの間にか転職サイトはSNSみたいなサービスになっていたんです。
企業側からも積極的に逆アプローチがあり、「スカウト」という名の応募提案のメールも毎日山のように届きます。とは言え、このスカウトという奴はピンポイントで「あなたに興味があります」というアピール目的よりも数打ちゃ当たるのスタンスで不特定多数に送っているものが大半で、同じ企業(それもSESばかり)からしつこく何度も届くので活動終盤の頃にはほとんど目を通さずに削除してしまいましたが。

面接もTeamsやZoom、meetなどでWeb上で行なうスタイルが圧倒的になっていたのも驚きました。最終面接だけ対面、あるいはカジュアル面談から最後まですべてWebで完結する求人も今は珍しくありません。

転職エージェントというサービスも今回初めて登録してみましたが、これは期待していたものとは全く異なるサービスでした。私の期待とは、エージェントが私の代わりに企業と給与とか、言い出しにくい条件などの交渉を代わりにやってくれるだろう、というものでしたが、これは大きな私の大きな勘違いでした。某R社のエージェントは私の経歴に目を通し、私の待遇面での希望条件を聞くと苦笑いしながら「〇〇(私)さん、あなたの経歴でそんな条件じゃどこの企業も取ってくれませんよw」と(言い方はもう少しマイルドでしたが)遠回しに希望年収を下げろと言ってきました。
私としては身の程知らずな要求であることは承知の上で、そこを上手く交渉してくれればと思いエージェントを使ってみようと思ったのですが、エージェント側の立場としては、こういう高望みの鼻っ柱を折って手早く内定(=成約)に持ち込むが仕事のようでした。考えてみればこれは当たり前のことで、採用が決まった場合、エージェントに対する成功報酬を支払うのは求職者(私)ではなく募集した企業側です。エージェントにとって「顧客」とは求人企業の方であって私ではないため、エージェントは基本的に企業側の意向を優先します。「エージェント(代理人)」とは求職者ではなく「求人企業側の代理人」という意味だったのです。私のように理想が高くて妥協せず、相場に収まらない求職者はいつまで経っても成約に持ち込めないやっかいな「不良品」であり、不良在庫を抱えたくないというエージェントの意向も(今なら)理解できます。

とは言え、私の立場からすると難しい年収の交渉を代わりにやってくれるどころか、まずエージェントとの条件交渉が加わってコミュニケーションコストが倍増する形になってしまいました。楽になるどころかだんだんゲンナリするようなやり取りが増え、私は嫌気がさしてきたのでこちらとしては条件が合致する求人がなければ在職中なのだから最悪現職に残るという道もあるんですよと伝えました。するとエージェントは「ああそうですか、構いませんけどあなたの年齢ではのんびりしている暇はないんじゃないですか?せいぜい残り少ない時間を大事にしてくださいね」と呪いの言葉を吐き、完全に決裂した形になりました。

もちろんエージェントサービスにも色々ありますし、複数利用していたのでこんな人(会社)ばかりではないのは分かっています。しかし、エージェントサービス企業のポリシーやエージェント個人の性格、相性にもよるとは思いますが、私個人としてはこの一件で「そもそも転職エージェントって不要な仲介業者なのではないか」との結論に至りました。以前のように企業と求職者が直接やり取りすれば求人企業としてもエージェントに余計なフィーを払わないで済むのに…なんで皆さんエージェントに頼るんでしょうね…?私はR社の求人応募にはエージェントを介さず一般の転職サイトの方を使い、希望条件は採用担当者に自分の口で伝えることにしました。転職市場ではエージェント限定求人の割合が結構大きいので勿体ないといえばそうなのですが、限定求人はその名の通りエージェントを通さずに応募することはできません。そしてエージェントを通すと真の希望年収で応募させてもらえない状況になってしまっており、これ以上エージェントとの面倒くさいやり取りでエネルギーを浪費したくなかったのです(こういうところは我ながら相変わらずコミュ障だなと思います)。

 

内定までの道のり

転職活動期間中、平日は仕事が上がってからはずっと求人検索やメールの返信などに費やしていました。休日は各転職サイトのプロフィールや職務経歴を読み直し、不採用通知の度に何度も手直しを入れてブラッシュアップしました。そして"変えることのできない過去"履歴書・職務経歴書を読みながら、採用側にちゃんと自分の半生を理解してもらえるよう「ストーリー」を考え、それぞれの経歴や空白期間に「意味」と「連続性」を与えていくことで、質問されてもきちんと受け答えできるように考えました。まあ、ぶっちゃけ辻褄を合わせただけなんですが。

しかし、経歴無い無い尽くしの私にとって嘘にならない程度に経歴を盛るのにも限界があります。頼みにしていた情報処理技術者試験の資格についても、カジュアル面談などでも話題に上ることはなく、企業側にとっては関心外のようでした。私の転職活動は次第に行き詰まりが見えてくるようになりました。どうしたものか…

取れる手段は二つでした。

それは、妥協するか、勝つまでとことんやるかです。
妥協するのは簡単な道です。大人しく安い給料で派遣会社やSES企業に籍を入れ、数か月単位で現場を転々をするだけの仕事をこなして定年まで凌ぐ道。最近のSESはフルリモート案件も多いので条件の一つは満たされるかも知れません。でも、今と同じか、それより安い給料になるくらいなら、はっきり言って転職する意味なんてないじゃないですか?現職でパワハラに耐えて奉公人のように働くのも、また以前のようにSESに戻って常駐先で奴隷扱いされるのも大差ないでしょう。

就職・転職は100社内定をもらったところで結局はその中の1社しか選ぶことができません(例外はありますが原則として)。100勝0敗も1勝99敗も等価値、1社でも自分の希望条件に合った企業から内定がもらえればそれで「勝ち」なんです。私はやはり妥協はせず、勝つまでとことんやってやることにしました。決めてから辞める。決めるなら勝って決める。勝つまでやる。これが結論でした。

この頃にはすでにリモート勤務は終了してしまい、フル出社の平日は3時間の通勤時間に圧迫され転職活動のために使える自由時間は限られてきましたが、そもそも面接のアポイントが全然取れないので(泣)それほど無理なスケジュールにはならないだろうと読みました。


さて、1勝でも勝つためにはもっと数をこなす必要があると考えましたが、エージェントを使わないと中々希望条件と応募資格の両方を満たす求人というのは出回ってきません。これまではSaaSなど自社でソフトウェアやサービスを開発し、商売している企業ばかりに応募していたのですが、視野と職種などの検索範囲を広げてみると、事業会社のIT部門という道もあることに気が付きました。事業会社のIT部門というと、今まで情シスとかDX推進とか、開発といっても外注先の管理くらいまでしかやらないだろうと思いこんでいたのですが、最近は内製化の傾向が強まっており、社内業務システムだけでなくtoCのWebサービスまで内製で開発する企業が増えているようなのです。これは目から鱗が落ちたというか、灯台下暗しな事実でした。IT系のニュースとかで見聞きしていた話ではあったのですが…。中規模以上の企業であれば大抵何かしらIT部門やシステム子会社を抱えています。そうしたところの求人もチェックして、情シスやDX推進的な業務だけでなく開発もやっている企業を探して応募してみることにしました。

すると、こちらの感触は意外と悪くない。少なくとも書類通過する確率はやや上がりました。大手だとさすがに厳しいですが、このルートだとそこそこ規模の大きい企業でも相手にしてもらえるのです。カジュアル面談や面接で担当者の方と話をしてみると、どこもエンジニアの応募が少なくて困っている様子でした(だからと言ってロースキルは困るでしょうが)。IT戦略に対する考え方も一昔前のイメージから変わっていて、自社の内製サービスを事業の柱にしたい、開発部門をコストセンターではなくプロフィットセンターに変えたいといった展望を聞かせてくれました。そして、こうした企業の中から最終面接まで進む企業も出てきて、これはひょっとして行けるんじゃないか?と光明が見えてきました。

そんな中、私はある商社のIT部門の最終面接(役員面接)に臨むことになりました。事業会社のIT部門の面接というのは、プログラミングなどのITスキルよりも、事業部門とどれだけ上手く協力して自社の事業を円滑に推進できるか、といった協調性やコミュニケーション能力の方を厳しく問われます。ましてや応募先は商社、英語ペラペラのコミュニケーションおばけがゴロゴロいるような業種です。私としては元々売りにするほど技術力もないのと、ブリリアントジャークのようなタイプのエンジニアは反面教師だったので技術に関する個人的なこだわりはなく、職場の心理的安全性や会社やチームとしてのアウトカムの方を重視しています、みたいことを答えました。また、私の場合は残当ながらクソ汚い履歴書・職務経歴書について一行一行丁寧に突っ込まれまくりました。しかし、これまでの失敗をフィードバックしてきたのもあり、不思議とこの時はほとんど焦ったりつっかえたりすることなく、ストーリー仕立てで空白期間などの説明をすることができました(ような気がしました)。まあいくら取り繕っても私がコミュ障なのはバレバレだったとは思います。

 

数日後、その商社からメールが届きました。ドキドキしながらメールを開くと、それは何よりも待ち望んでいた初めての内定通知だったのです!私は年甲斐もなく小躍りしてしまいました。提示年収も希望通りで現在の年収を大幅に上回り、リモート勤務こそありませんでしたが職場は自宅から30分圏内でそのほかの希望条件もほぼ満たしており、即入社を承諾しました。これは運の要素も大きかったとは思いますが、何度も失敗と修正を繰り返す試行錯誤の末に一歩一歩前進して山頂にたどり着いた登山のような成功だったと思います。

最初は短期決戦でいくつもりでしたが、結局内定をもらえるまで2カ月半もかかってしまいました。前述の通りほとんどは書類選考で落とされ面接まで進むこともできませんでしたが、最終的には応募した企業数は50社となりました。まあぶっちゃけ100社超えも覚悟していた所でしたので、むしろこんなに早く希望条件を満たす企業から内定をもらえたことは僥倖と言うべきかもしれません。

ちなみに、内定が出た少し前頃には肩のケガも通勤に支障ない程度には回復してきていたので、当初の前提は崩れていたのですが、その直後オフィスがさらに自宅から遠い場所に移転することが決まり、通勤時間もさらに長くなることが確定しました。3時間でもしんどいのに、ケガが無くてもこれ以上長時間の通勤には耐えられません。やはりあの時転職を決断したのは賢明だったのだと胸を撫で下ろしました。


新しい職場・職務について

現職に入社してみての第一印象は「なんか、普通だ…(感動」でした。総務の人が入社時オリエンテーションをしてくれる、ボーナスが年2回出る、労働組合がある、試用期間なのにいきなり有給休暇をもらえる…。開発環境にも念願のDockerを導入できました。面接の時「うちはまだまだレガシーシステムが絶賛稼働中でして…」みたいなことを言われていたので、どんな骨董品が出てくるのか武者震いしていたところでしたが、普通に前職よりもモダンな環境でちょっと肩透かしを食ら…いやいや、良かったです。今は貿易業務の勉強をしつつAIを使って社内システムの開発に従事しています。自分でコーディングができなくなってしまったのはやや寂しいですが…。

今まで働いてきた会社は、入社初日から放っとかれて一人で環境構築していきなりバグ修正してたりとか毎月有期の労働契約を結び直される(案件が決まらなかった場合労働契約は更新されず、無給で待機となる)派遣会社とか、月400時間労働や5日間会社に泊まり込んで働かされるようなブラックな環境ばかりでまともに労働者として扱ってくれる会社に勤めた経験がなかったので、今さらこの歳で新鮮な驚きを感じています。いやー、商社って就活生に人気の有名どころでなくても普通に待遇良いんですね…。
加えて輸出商社なので円安の影響で今は景気が良く、開発に限らず採用活動も積極的にやっているようです。これも私の採用の追い風になっていたのかも知れません。
もっと早くこういう"普通の企業"に転職していれば、その後の私の人生も違ったルートを辿っていたかも知れなかったのが唯一悔やまれるところです。
私は世間知らずでした。


おわりに

一般に、40歳を過ぎてからの転職は一発逆転やキャリアアップが難しく、良くて年収維持で横滑り、多少の年収ダウンは覚悟しましょうと言われています。そんな中、40代後半にも関わらず年収はじめほぼすべて希望条件通りの職に就くことができた私の転職活動は御の字の結果といえるでしょう。まあ、元が低すぎたんですけどね…キャリアアップというか、「やっとまっとうな会社に勤めることができようになりました」と表現した方が正確かも知れません。

今回の転職活動で私が得た知見をまとめると以下の通りになります(あくまでも私個人の経験に基づくメモ的なもので、普遍化・体系化されたものではありません)。参考程度にお読みください。

  • 求人応募はとにかくまず数をこなす。今より上を目指したいなら10社や20社くらい祈られるのは当たり前。試行回数を増やせば教訓が蓄積され、フィードバックや活路が見えてくる
  • 履歴書・職務経歴書の空白期間などはあっても問題ない。面接では何と答えるかよりどう答えるかが見られている。正直・堂々・前向きに答えれば大丈夫。詐称はNG
  • 資格はあまり評価してもらえない(若いうちに取っていたらまた違っていたかも)
  • エージェントは妥協しても良い場合や相場通りの希望条件なら有用。相場より上を目指す場合は逆にお互い邪魔になるだけなので使わない方が吉
  • 事業会社のIT部門はわりと穴場(これは数をこなすうちに見えてきた活路)
  • 縁故のない中途採用で中小企業はやめとけ(特に同族経営は絶対やめとけ)

 

それにしても、円安の物価高で困窮していた私が、円安で儲かっている企業に救われたのは何とも皮肉な話ですね…人間万事塞翁が馬と言うべきか。でも、自分のような箸にも棒にも掛からぬ経歴の人間でも、まだチャンスは残っていたんだという希望に溢れる結果が得られて本当に嬉しかったです。この転職活動記が、一念発起したいけど逡巡している同じような境遇の中高年の方に希望を届けることができればいいなと願っています。
最後に、読んで頂きありがとうございます。「自分との約束を守る」ための私の旅はまだまだ続きます。

「どこにもいかない」はどこにあるのか?―『どこにもいかない/雨衣』考察―

本ブログではこれまで自称したことはなかったが、私は長年ボカロ曲を聴き続けているボカロリスナーである。作詞作曲イラスト動画制作その他のクリエイティブな才能はからきしなので自分から何か作品を発表したことはないが、ひたすらインターネット、特にニコニコ動画に日々投稿されるボカロ動画を視聴し続けている。

 

◆序文―ボカロリスナーの一人として―

ボカロ界隈では、かつて「聴き専」と呼ばれる「リスナーの立場から推したいボカロ曲・動画を紹介し合い、語り合ったり共有する」人たちがおり、そうした好事家同士でも活発な情報交換が行われていた。企業やプロのアーティストが大々的に発表した音楽を受動的に消費するのではなく、才能を秘めたアマチュアがネットの片隅に投稿した隠れた名曲を目利き(耳利き?)のリスナーが主体的に発掘し同じリスナー仲間に紹介しあう。そうして日の目を見ることになりコミュニティに支えられながら有名になっていったボカロPも大勢いる。
なお「聴き専」という呼称から創作活動を一切しないユーザーを連想されてしまう方もいるかも知れないが、界隈にはボカロP本人はじめクリエイター兼リスナーも多く、私のように「専ら聴くだけ」の人間のためのコミュニティでもなかった。
文章力のある一部の聴き専の中には良曲を発掘して紹介するだけでは飽き足らず、音楽理論的な分析を試みたり、事細かく歌詞の意味を考察してその批評をブログに投稿したり、同人誌即売会で頒布する人もいた。「聴き専文化」は、UGCとしてのボカロにおける「創作の連鎖」の表現型の一つだったと言ってよいだろう。

なお、過去形で語ってしまっているが、色々あってボカロ界隈の「聴き専」ブームは一頃に比べると落ち着いてきたものの、完全に廃れてしまったわけではない。リスナー側から自ら動いて良曲を発掘し、共有する文化は形を変えて今も界隈に受け継がれている。
最近、ネットのどこかで「ニコニコ動画では才能のある人は必ず発見される」というような趣旨の発言を見かけた。YouTubeと比べて過疎気味で界隈が狭い、検索機能が優秀というのもあるが、少なくともニコ動は今も1日に100曲以上も新曲をチェックしている(かつて「ボカロ廃」とも自嘲的に呼ばれた)聴き専たちの審美眼によって隅々まで監視されており、「才能に隠れる場所はない」と言っても過言ではない現状を表していると思った。今もなお新たなスターが現れる可能性をボカロ界隈は秘めており、そしてそのポテンシャルは聴き専たちによる能動的なリスナーコミュニティによって下支えされているのだ。

私も以前からそのムーブメントを遠巻きに眺めていた一人ではあったのだが、音楽に造詣が深いわけでもない上に文系のくせに長文書くのが苦手なのもあり、これまで感銘を受けたボカロ曲は数多くあったものの、それを文章化して書き著し発信することはこれまで控えてきた。だが今年、2026年、ついにそのお気持ちを語らずにはいられないほど心の奥底に深く突き刺さり、離れない名曲に私は出会ってしまった。

誤解のないよう先に言っておくと、その作品は私の中でオールタイムベストボカロ曲という数百曲のリストのうちの1曲ではあるのだが、今まで私が聴いてきたうちのベスト1と主張したいわけではない。この辺りは本当に甲乙つけ難いというのが正直な気持ちである。
また、本記事はいわゆる「隠れた名曲の発掘・紹介」というスタンスで書かれたわけでもない。これから紹介する曲の作者・マサラダ氏はYouTubeで1000万再生超えの動画を複数持ついわゆる「有名P」の一人であり(今回は関係ないけど最新作『カンケーガール』もすごく好きです)、人気・実力ともに兼ね備えた天上のクリエイターである。今さら私が絶賛したところでその評価に何か影響があると考えるのもおこがましいだろう。

これは純粋に個人的な背景があり、個人的な動機で書かれた私見である。ゆえに、本記事で書かれている解釈や考察はマサラダ氏の真意と一致しない可能性は大いにある。内容については何度もMVを見返して検証した上で書いたものだが、矛盾や見落としなどはあるかも知れない。
以上の点は恐縮だがご容赦頂きたい。

 

さて前置きはこの辺にして、私がその紹介したくなったボカロ動画というのは、これである。始めて視聴するという方は、理屈はまず脇に置いて、マサラダ氏の魔法にかけられるままこの動画を鑑賞して欲しい。

 

どこにもいかない/雨衣 - ニコニコ動画

www.nicovideo.jp


どこにもいかない/雨衣 - YouTube

www.youtube.com

 

いかがだっただろうか?
たった5分ちょっとのMVにもかかわらず、初見で私は映画1本を観終わったような満足感と喪失感の相まった気分になってしまった(その後は映画1本どころではない時間分リピート再生してしまっているが)。
本作品はプログレのような大きく分けて三つの場面で構成されている。ちょうど映画の「三幕構成」と同じであり(意図したものであろう)、これらを便宜的に第一幕~第三幕と呼ぶことにする。

本作品、MVを見ず曲だけを鑑賞しても音楽的にも素晴らしいクオリティであることは素人の私にも分かる。だがマサラダ氏によって配布された歌詞だけを読んでも(または曲だけを聴いても)、歌詞の半分以上が「どこにもいかない」で埋め尽くされており
MVを見ないと「どこにもいかない」の意味が各幕ごとに変わっていることなどに気づいたり、この作品の全体像やテーマを把握するのは困難だろう。後述する雨や積み木や黒猫などのモチーフやギミック、おでこに手を当てる仕草、ラストの「未来の走馬灯」シーンなども歌詞では一切触れられていない。一方、マサラダ氏の他作品をみても歌詞はしっかり映像中に入って構成要素の一つとなっているMVばかりだが、この『どこにもいかない』だけはタイトル以外歌詞が一切表示されておらず(クレジットすらない)、この作品が"視覚ありき"であるということを示唆している。
ゆえに本記事の考察対象は(前述の通り筆者に音楽的な専門知識がないこともあり)主にMVの視覚的表現が中心となる。


◆第一幕「どこにもいけない」

世界は思い通りにならない。
変えられない世界の中で、変わらないものを探し求める。

 

ポツ、ポツと画面上に水滴が落ち始め、やがて全体を覆いつくすと場面は本降りの雨に変わっていく。そして雨音は次第に一定の繰り返しのフレーズを結ぶようになり、それはさらに、徐々に近づいてくる家の窓と少女の人影と共に雨衣の歌声に変わっていく。地面だと思っていたら空模様、かと思えば窓が現れて家の壁…。
「画面が何を表現しているか」という観点だけで序盤30秒でもう変幻自在。だが、こうした変化は文字通り序の口に過ぎない。これからもこのMVの視点は想像力の翼に乗って空間も時間も自由に超えて行く。「前の場面とのつじつま」のような野暮なことを考えてはいけない。

47秒という長いイントロダクションからようやく人影は物憂げなVoiSona雨衣(あるいは雨衣の演じる少女?以降は「雨衣」と呼ぶ)の姿に切り替わる。雨衣は名前の通り雨がモチーフになっているキャラで、公式絵では傘も持ち物になっている。雨のモチーフから始まる本動画にはピッタリの人選…というかこの曲は雨衣のために書き下ろしたのだろう。

 

雨衣 (Ui) | VoiSona
https://voisona.com/song/artist/ui_ja_JP/

 

振り続ける雨空を窓から眺め続ける雨衣の表情は憂鬱…というかむしろ「くそが」と悪態をついているところからして、その心情は苛立ちに近い領域であることが伺える。何の予定だったまでかは不明だが、どうやら天気予報が外れて雨になりおじゃんになってしまったようだ。ここでは「雨」は「変わりやすいもの」「思い通りにならないもの」の隠喩となっている。

ニコニコのコメントを眺めていると、雨衣の悪態にギョッとした視聴者も多かったようだ。だが、(中の人のキャラクターに引っ張られているのも何割かはあろうが)子供というのは可愛らしく見えてその内面は意外と利己的で残酷だ。胸に手を当てて思い出してみると自分も天気のような大人でもどうにもならないことであっても思い通りにならないことがあるとすぐ駄々をこねたりすねたりする子で、よく親を困らせていた。『ちっちゃな私』など、マサラダ氏はこうした「童心」を描くのがとても上手い。

 

ちっちゃな私/重音テトSV - ニコニコ動画

www.nicovideo.jp

ちっちゃな私/重音テトSV - YouTube

www.youtube.com

第一幕は音楽的にも軽快なピアノと雨衣のイノセントが歌声がピッタリマッチして(「くそが」さえなければ)「みんなのうた」のMVとしてそのまま放映できそうな可愛らしい雰囲気だ。

続いて雨衣は「ぽつ ぼつ ひとつ ずつ 違う音の中で 変わらないものを探してる」と歌う。有為(うい!)転変の世の中で「変わらないもの」を探し求める雨衣。同時に、一粒一粒の雨粒を人に喩え、多種多様な人がいる中で自分だけのアイデンティティのようなものを確立したいと思いつつ、まだそれができる大人になれない雨衣の幼さともどかしさを表しているようにも思える。

よく見ると壁にうっすらと「どこにもいかない」の文字が浮かんでいる(ように見える)。雨衣はその微かに浮かんだ「どこにもいかない」をなぞり、(イメージの中で)部屋に散らかった積み木を使って組み上げようとする。しかし、積み木で組んだ文字は何度積み直しても「どこにもいかない」の文字を結ぶことができず、バラバラに解体される。確かに「どこにもいかない」は見えたはずなのに、おもちゃの積み木ではそれを具現化させることができない。何度も繰り返しているうちに雨衣は屈みこみ、その心情は苛立ちから絶望に傾きつつあることが伺える。

 

◆第二幕「どこにもいかないで」

生きている者はいつか死ぬ。形あるものはいつか壊れる。

 

不意に場面転換が起こる。真っ白で何もない世界。ぐちゃぐちゃに組まれた積み木の塊は黒く染まり、雨衣の膝の上で眠る黒猫の形を取る。
ネコか…確かにペットなら雨衣のそばにいて、どこにもいかないでいてくれるかも知れないね…と思った?ネコに限らず生き物には寿命という定めがある。ほとんどのペットは飼い主と添い遂げることなく先立っていく。雨衣の元を離れていく黒猫に対して「どこにもいかないで」とばかりに手を伸ばす雨衣。

そしてまた突然、場面は黄昏時の砂浜に、黒猫の姿は波打ち際の遺体(砂像?)に切り替わる。雨衣の背後にも何体もの砂像が立てられているが、その輪郭は人の頭や、家や学校?のような建物の形をしている。雨衣は必死に「あたらしくならないで」「ならないで」…と繰り返し、黒猫に覆いかぶさって懇願する。だが、寄せては返す波を止めることはできない。抵抗虚しく黒猫は波にさらわれて消えてしまう。ここでは「波」は無情(無常)に進み続ける「時間」の隠喩となっている。「雨」と同じく思い通りにならない上に、大切な存在を雨衣から奪っていく。

そして「誰も彼も自分さえも」―――絶望した雨衣自身も放心状態で死んだように浜辺に仰向けになり、徐々に波に体を削られていく…その悍ましい様は腐敗していく肉体を描いた九相図を連想させる。きっと、雨衣の背後に立っていた砂像たちもいずれ波にさらわれて同じように消えていく運命にあるのだろう。

第二幕は「ブレイクダウン」的な位置づけの展開で、第一幕とはうって変わって荒涼としてザラついたサウンドとコーラス。「どこにもいかない」のリフレインは入るが、雨衣は歌わない(そもそも波に洗われて顔が削られてしまっている)。
全体的に不穏な雰囲気で死の臭いが漂っている。これを無修正で「みんなのうた」で放映してしまったら全国のちびっ子たちの心にまっくら森どころではないクラスのトラウマを植え付けてしまうだろう。やっぱなし、前言撤回!
こうしたネガティブで暗い側面は他作品群にも通底しており、マサラダ氏の作風に深みを与えている。


◆第三幕「どこにもいかないよ」

「変わらないもの」は、どこに行っても、どこにもいかない。

 

絶望のどん底まで落ちたところで、またも場面は突然切り替わる。雨衣は第二幕の浜辺の時と同じく仰向けに寝ているが、場面はいつの間にか第一幕の部屋に戻っている。

ここで流れる耳鳴りのような「キーン」という音。子供の頃に風邪を引いて学校を休んだ時音のない部屋で寝ていると嫌でも聴こえてきたあの「キーン」音である。ここでその音を鳴らすマサラダ氏のセンスよ。驚嘆すべき子供時代の解像度である。マサラダ氏の心の中には本当に「ちっちゃな私」がいるのだろう。

そして雨衣はベッドで熱にうなされていた。第一幕で根詰めてしまったから?死の臭い漂う第二幕は、熱で苦しむあまり「このまま死んでしまうかもと思った」雨衣の見た「悪夢」だったのだろうか?雨衣の背後に立っていた砂像も実は部屋に散らかっていた積み木のことだったのだろうか?改めて見返すと形状もよく似ている。

また、散乱する積み木に混じってビリビリに破かれた黒猫の絵の断片も散らばっていることにも気が付く。黒猫は「変わらないもの」を探していた雨衣の生み出したイマジナリーフレンドだったのだろうか?

まあ、それはどうでもいい。最初に言ったようにこの作品は空想の翼によって夢も現実も自由に超越し、連想の鎖でそれらを巧みに繋げて編んでいるのだ。雨衣が実際に黒猫を飼っていたか、どうかなどを掘り下げるのは考察としては本質的ではないだろう。

とにかく、雨衣は今汗びっしょりで死にそうなくらいつらくて、孤独だ―――と、その時、誰かが帰ってきた。「怒ってる?焦ってる」のかというくらいだからドタドタと相当に大きな音を立てながら雨衣の部屋に近づいているだろうと察せられるのだが
雨衣の弾むような歌声からは恐怖心は感じられず、どこか嬉しそうだ。ピアノが奏でる足音もどこか軽やかで、雨衣にはそう聴こえるという表現なのかも知れない。足音だけで誰だか分かる人…雨衣のママだろうか?いずれにしても親しい家族の一人、雨衣の保護者であろう(正体はぼかされているので、実際には母親ではないかも知れないが、呼びにくいので便宜的に「ママ」とする)。

やがて雨衣の「ママ」は雨衣の部屋に入ってきて、ベッドで寝込む雨衣の傍に寄り添う。雨衣は本当は起きてるけど寝てるふりをしている。部屋に入ってきた人物が誰か、雨衣はこの時点で確信しているはずだが、眼を開けないので、私たち視聴者にはその姿が見えない。
この作品の中では雨衣に口がなければ歌わないし、ドタドタした音も雨衣の耳には軽快なピアノの音に聴こえるし、徹頭徹尾雨衣の主観的な認識と世界観で構成されていることに気づかされる。

そして差し伸べられた女性的な細い手が雨衣のおでこを優しくなでる。「どこにもいかないよ」と雨衣に語り掛けるように。すると、雨衣の閉じたままの瞳から一筋の涙が零れ、その瞬間「何か」が起こる。第一幕と同様、背景にうっすらと現れた文字列、これは…!?

ここで満を持してついに、タイトルも歌詞も(はっきり)出てこなかったこの作品中で初めて「どこにもいかない」の文字列が現れる。心なしかフォントが積み木を組み合わせたようなスタイルに見える。この「積み木フォント」、『ちっちゃな私』にも使われているものにも似ている。フォントには詳しくないのでどこかで配布されているものか、それともマサラダ氏の手作りフォントなのかは分からないが、これは第一幕で雨衣がおもちゃの積み木で「どこにもいかない」を組み立てようとしていたシーンを連想させる。あれほど雨衣が頑張って組み立てようとしていたのにできなかった「どこにもいかない」が今、雨衣の「ママ」におでこをなでてもらっただけではっきりとした形で姿を現した。一体何が起こったのだろうか?取りあえず考察は後に回す。

さて、4分22秒にしてようやくタイトルが表示されたと思ったら、ここからは怒涛のクライマックスである。「どこにもいかない」のリフレインの中、そら豆のような涙の雫が現れ、やがてそれは胎児のような人型になり、次第に大きくなって雨衣の姿をとる。

そしてまたも突然の場面転換。今度は宇宙空間のような星の瞬く世界へ飛ぶ。そこには無限体の雨衣が浮かびながら並んでいる。そのうちのクローズアップされた一体の雨衣が安心したように穏やかな表情でそっと右手をおでこに当てる―――雨衣の「ママ」にしてもらったように。

個人的には、このシーンはニーチェの「永劫回帰」のような状態を表現しているのではないかと解釈している。雨衣はこの時、この先どんなに不幸でつらい未来が待っていたとしても、その同じ人生を無限回繰り返すことになっても、それを肯定できる「何か」を得たのだろうと。
余談だがこのラスサビの宇宙空間シーン、作画には相当気合が入っている模様で、他のシーンと比べて群を抜いて解放感・躍動感がある。まるで最終話直前にメイン作監が帰ってきて作画力が大幅にアップする昔のアニメのよう。いずれにせよ、本作品一番の見せ場と言ってよいだろう。

すると、さらなる場面転換が起こり、今度は時間を超えて"未来を回想する"シーンのラッシュに突入する。走馬灯のように1シーン1枚ずつの画では雨衣にこの先起こるであろう未来図が描かれている(1枚目のシーンは恐らくおでこをなでてもらった直後の姿だろう)。

スマホの画面が割れてしまった時
テストの点が悪かった時
虫歯で歯が痛む時(誰かに殴られた時?)
卒業して同級生との別れを惜しんでいる時
体育の時間、ボールを頭にぶつけられた時
海水浴に行ったら自分の体型に劣等感を覚えた時
カラオケで自分の歌う番が回って来て緊張した時

生徒指導室(?)で先生に怒られている時
飲み会でぼっちになった時
深夜遅くまで残業した時


いくつかは雨衣の身に何が起こっているのか自分ではちょっと読み解けなかった、あるいは複数の解釈が可能な未来図もあったが、どのシーンでも、大人になっても雨衣はおでこに手を当てている。中にはつらい時だけでなく嬉しい時や恥ずかしい時もおでこに手を当てる癖ができてしまったようだ。

生徒指導室、あるいは進路指導室のシーンで雨衣の隣に座る女性は雨衣の友達だろうか。校則違反のカラオケがばれ、一緒に先生に怒られているところ、とも読めるし、あるいは服装が雨衣の制服とは異なっている、顔が隠されているなどの描写からこの女性はその当時の雨衣の保護者で、学校から呼ばれてきたと読み取ることもできる。
また、誰かから届いた手紙を読み、嬉し涙を流しながらおでこに手を当てる雨衣の姿から、恐らく手紙の送り主は「ママ」で、あの後何らかの事情で雨衣の家庭から去ってしまったと推測される。結果的に雨衣を捨てることになった「ママ」だが、その後も雨衣のことは気にかけて手紙を書いてくれていたのだろう。その直後家出?をしたのも「ママ」に会いにいくためだろうか(あるいは家出ではなく進学などで上京してきたばかりの不安そうな雨衣なのかも知れない)。

その後、一時期すさんだ生活を送っていたようだが、雨衣の境遇を理解してくれる友人に出会えたのか立ち直ることができ、就職してパートナーらしき男性と出会うこともできたようだ。雨衣のおでこに手を当てる癖を男性に真似されても満更でもない様子。
ようやく雨衣の人生に春がやってきたかと思いきや、次のシーンでは指輪をしているのに一人で引っ越しをする雨衣…さらに次のシーンでは赤ん坊と、そのまま未婚の母になった雨衣が描かれる(男はどこへ…)。因みにこのシーン、背後の壁に座っているクマのぬいぐるみと女の子の人形は第一幕から雨衣の部屋にあったものと同じものだろう。
シングルマザーになり女手一つで息子を育てる雨衣だが、どうも親子関係は複雑だったようだ。そうしているうちに息子は成長し、結婚相手を雨衣に紹介に来るまでになった。雨衣はすでにおばさんになっているが、やっぱりつらい時はおでこに手を当てている。そして独りアルバムを開き、思い出に浸りながら懐かしさに涙する雨衣。やっぱりおでこに手を当てている(このシーン、手前に何かぼやけた構造物が描かれているが、ひょっとして積み木だろうか?他のシーンでも積み木のようなものが前景にぼかして描かれているシーンがいくつか見受けられる)。だが、次の瞬間、雨衣はお墓の前でおでこに手を当てている。とうとう「ママ」が亡くなってしまったのか、あるいは息子に先立たれてしまったか…。

第二幕の「波」のように無情な「未来の走馬灯」は、ショッキングなシーンもあっという間に流してしまい、次のコマからは寂しい雨衣の晩年が描かれる。多数の猫を自宅にお迎えして多頭飼育崩壊状態になっていたり、次第に周囲の背景や人の輪郭が曖昧になっていったり。「この作品は徹頭徹尾雨衣の主観によって描かれている」という法則に基づけば、周囲が曖昧に描かれるのは雨衣の認知能力が次第に低下していっていることを示唆していると思われる。だが、雨衣はおでこに手を当てることだけは決して忘れていない。星になるまで。

…と思いきや最後の最後でまた場面転換!ハッ!?そこは第一幕、始まりの窓辺のシーンだった。雨は相変わらず降り続けており、幸せそうに余韻にふける窓辺の雨衣がフェードアウトしてMVは終わる。

ラストシーン、窓辺の雨衣はおでこに手を当てている。ということは時間的には「ママ」に看病してもらった直後だろう。直前に見た「未来の走馬灯」は第二幕と同じく雨衣が見た夢か妄想だったのだろうか?そうであって欲しい気持ちもある。走馬灯に描かれた未来図が現実に起こることなら、雨衣のその後の人生はパッとしなさ過ぎる。救いがない。
気持ちだけでなく、そう考える根拠もなくはない。未来図の中でちょくちょく出てきた人形や積み木は恐らく第一幕から登場していた雨衣の部屋に散らかっていたおもちゃ達だ。幻想的な第二幕に出てきた砂像の正体は積み木、黒猫の正体は雨衣が描いた絵だとすれば、「雨衣の夢や空想の中には雨衣の部屋のおもちゃなどが登場する」という約束事がこの作品の中で成立する。であるならば、未来図の中に積み木やぬいぐるみ、人形が描かれているということは、これら「未来の走馬灯」とはあくまでも「雨衣が空想した未来予想図」ということになりはしないだろうか?

良かった…妊娠した雨衣を捨てて逃げるクソ男はいなかったんだ…。しかし、この仮説が正しいとすると、雨衣は自分が不幸の星の元に生まれたと酔うタイプの、相当にこましゃくれたガキである(笑)(まあ「クソが」とか悪態もついてるし…)。

ラストの未来図ラッシュはとりわけ情報量が多いのでつい楽しくなって多めの文字数で仮説立てまでしてしまったが、実のところこのシーンが現実の未来で実際に起こる出来事かどうかも、黒猫や雨衣のおでこをなでた「ママ」の正体を考察するのと同じく重要ではない。

では何を考察することがこの作品の本質に迫ることになるのか?それはもちろん、タイトルにもなっている「どこにもいかない」である。

 

◆考察:「どこにもいかない」とは?

タイトルにもなっている「どこにもいかない」とは結局何だったのだろうか?だが、この言葉尻に引っ張られ、皮相的な解釈をすることは本質を見誤ることになり、危うい。なぜなら、繰り返される「どこにもいかない」という言葉の意味は第一幕、第二幕、第三幕それぞれで大きく異なるからだ。変幻自在なのは舞台だけでない。この作品には同じ言葉の意味も変えてしまう文脈の魔法がかけられているのだ。
だが、とらえどころのないこの言葉に込められた真意をつかむヒントは歌の中に散りばめられている。一つは、第一幕の歌詞にある「変わらないものを探してる」という一節にある。もう一つ、第二幕で絶望する寸前の雨衣も「変わらないで」と懇願していた。本作の雨衣はずっと「変わらないもの」を探していた。そしてそれを見出した瞬間、雨衣にとってそれは生きるよすがとなり、その後の人生が幸薄いものであったとしても
雨衣を繰り返し救い、苦難を乗り越える力を与えてくれることになる。だが、それはただ単に雨衣の「ママ」がおでこに手を当てて看病してくれたからではない。
臆面もなく言ってしまうが、そこには「愛」があったからだ、と私は考える。一口に「愛」と言っても様々だ。博愛や男女の恋愛、自己愛なんてものもある。あの瞬間、雨衣が与えてもらったのはその中でも「家族愛」に近いものだろう。親や保護者が幼い子を心配し慈しむ心、それは無償の愛。雨衣はおでこに触れた手からそれを確かに感じ、受け取った。雨衣自身も分からないまま雨衣が探し求めていた「変わらないもの」とは、愛だったのだ。

地球の生命にとって太陽が必要なように、人には愛が必要なのだ。さもなければ人はニヒリズムに染まり、絶望の内に自暴自棄になり、タナトスに魅入られてしまう。

そして、これが最も核心となる話だが、真実の愛は永遠(どこにもいかない)なのだ。愛には形はない。もちろん生き物でもない。だが、だからこそ愛はそもそも壊れないし死ぬこともない。それどころか、一度心の中に根を下ろした愛はこの曲のリフレインのように繰り返し蘇り、どこにいっても、いつまでも人の心を守り続けてくれる。別の言い方をすると、心理学の世界でいう「愛着」と呼ばれる「心の安心感」のようなものがあの時の雨衣の中に形成されたのだ。

雨衣をこの時看病してくれた「ママ」も、その後の人生のどこかの段階で永遠の別れを経験することになるだろう。だが、愛を貰ったあの瞬間「自分は愛されている」と確信することができた雨衣は、自分を肯定することができ「ママ」のいない世界でも一線を超えることなくその後の人生を全うすることができたのだ(あるいはできるだろう)。

 

◆おわりに

自分語りになるが、私自身も雨衣とはちょっと違うが似たような経験をしている。
中学時代、私は学校でいじめられていた。今なら確実に不登校コースだったが、そうはならず学校に通い続けた。当時(昭和末期~平成初期)の教育界には、まだ「学校が嫌なら無理に行かないでいい」という風潮がなく、またそうした不登校児の受け入れ先が少なかったという背景もあるが、個人的にはもう一つ事情があった。
それは家族からの激しい暴力だった。殴る、蹴る、唾を吐きかけられる…思い返しても散々な目に遭わされたものだ。だから家に引きこもることもできなかった。学校ではいじめられ、家庭では殴られる日々。居場所が無かった。だが、そんなある日、私に対する暴力から体を張って守ってくれたのが母だった。当時既に中学生の私よりも体格的には小柄だというのに、見とがめた母は敢然と私の前に立ち、命がけで暴力を止めに入ってくれた。私の中では、あの時の母の小さな背中が今でも脳裏に焼き付いて離れない。
現実には母も働いていたので、いつも止めに入ってくれたわけではなく、母のいないところでは暴力は続いていたが、それでも道を踏み外さず、自暴自棄にならず、何とか生き永らえることができたのは今でも母のおかげだと思っている。私にとってはあの時の背中が雨衣にとってのおでこに当てられた手。それは確かに今も生きるよすがになっている。

さらに幼い頃、私は夜中に突然死ぬのが怖くなり、泣き出したことがあった。かつて『ダイの大冒険』でポップが全く同じ経験をしたことが描かれており、自分だけじゃなかったんだ、と当時は驚いたものだが、これは「タナトフォビア」という乳幼児がしばしば発症する精神状態だという。第二幕の雨衣が経験した「悪夢」はまさにこのタナトフォビアではないだろうか。そんな時も母は私の傍に寄り添い、夜泣きする私を安心させてくれる言葉をかけてくれた。
何と言ってくれたのかはもう覚えていないのだが。

 

さて、もうお分かり頂けただろう。
私もまた、雨衣と同じく「どこにもいかない」によって救われた人間なのだ。そして豊かな想像力と鋭い観察力で幼年期の体験を丁寧に描いたこの『どこにもいかない』という作品に出会い、それが自分の経験とオーバーラップしてしまったことが、ろくに音楽を知らず、文章も下手糞なボカロリスナーの私がこの長い考察を書こうと思い立った動機である。この曲でなければここまでのモチベーションは生まれなかっただろう。たまにこういう心に深くぶっ刺さる曲に出会えるからボカロリスナーは止められないのだ。
でも、1本でもこうした考察記事を書きあげることができて本当に良かった。


最後に、本記事を執筆するきっかけを作ってくれた永遠の名曲『どこにもいかない』を世に生み出してくれた作者・マサラダ氏に心から感謝の気持ちを伝えたい。
ありがとう!

五月記

いつの間にか春が来て、終わっていってしまった。
年頭の自分の置かれた状況から振り返ると、驚くくらいの環境の激変があり少々戸惑いも感じている。

 

まず、情報処理技術者試験の日程や試験区分が抜本的に変わってしまって、今年の目標設定がしょっぱなから狂ってしまったのは前回記事の通り。一方、肩のケガの療養のため、特例として認められていた在宅勤務だが、今年に入り突然会社の方針で病気だろうがケガだろうがフル出社せよ、という方針に転換されてしまった。ケガを抱えたまま1日往復3時間の通勤は負担が重く難しい。
あまりに非情な措置…私は窮地に陥った。

 

これもおみくじで「凶」を引いたからだろうと思い(迷信)、厄年でもないのに厄除けに川崎大師に行ったりもしたのだが、その後おみくじを引いてみたら、その結果はまた「凶」!「凶」を連続で引いたのは生まれて初めてである。しかも厄除けまでしてもらった上だというのに――一体何なんだ今年の運勢は…。

とにかく今年はツイてない。しかしこのまま状況に甘んじていたら肩のケガを悪化させてしまうかも知れない。そもそもケガをする前から今の会社には限界を感じていたところだった。私はこのタイミングで転職を決意した。

そこからの顛末は別記事にまとめて後日アップしようと思っているが、転職活動の結果、私は何とかとある会社に内定を頂くことができた。

 

ほぼ同時期にフル出社は始まってしまったが、どうしたわけか肩のケガもその後急速に回復して、完全とは言えないものの日常生活には全く支障がないレベルには持ち直してきた。ケガが一応治ったので転職する理由の一つが消えたことになるのだが、その直後、会社の方針でオフィスをさらに自宅から遠い、これ以上はもう通勤は無理だろうという場所に移転する話が急浮上してきたので、ケガとか関係なくやはり転職という決断は正解だったのだろう。少しでも行動が遅れていたら次の勤め先が決まらないまま退職していたことになっていたのだから。

 

内定後、三たびおみくじを引いてみたところ、「小吉」と出た。
結果オーライというか、塞翁が馬というか、あるいは禍転じて福と為すと言うべきか。とにかく今年はアップダウンが激しくて、自分の意志ではどうにもならない「見えない力」に翻弄されているという感覚が強い。状況をコントロールすることは諦め、ある程度"波"に逆らわずに乗って行こうという心構えでいた方が良いのかも知れない。

何だか取り留めのない日記になってしまったが、今日はこんなところだ。

今年の初詣でおみくじを引いたら、なんと「凶」だった。
確かにせっかく作ったカレー鍋をひっくり返してしまったり(掃除が死ぬほど大変だった)、会社携帯を紛失しかけたり(すぐに見つかって事なきを得たが)、今年は年初からあまりツイてないことが続くので現在の自分の運気は最悪の状態なのだろう。
しかもというか、だからなのか、ここにきて情報処理技術者試験が再編され、来年以降、既存の高度試験はネットワークスペシャリスト試験含め(情報処理安全確保支援士を除き)すべて廃止予定という報道をネットニュースで見てしまい衝撃を受けている。泣いても笑ってもネスペはもう今年が最後の年になるらしい。さらに、現時点でCBT化するという今年の試験も未だに募集要項が発表されない有様。巷では「6月実施説」も囁かれているが、最悪今年の実施すら見送りで終了というシナリオも考えないといけなくなってきた。

何なんだ一体…一気にモチベーションが下がってしまった。

 

なお報道によると高度試験、応用情報の代わりに「プロフェッショナルデジタルスキル試験」とかいう国家試験が来年から始まる予定だそうだが、名前のクソダサさもさることながら国はどういうIT人材を育てたいのか、新試験からはそのビジョンが今一つ見えてこないのが不安を掻き立てる。

まず、試験方式が論述だけって…しかも経営戦略とデータベースとプログラミングが同じ試験区分って何がしたいのか分からん。組み込み系は他の一般的な業務アプリの開発とは毛色が全然違うのに「システム分野」でネットワークやシステムアーキテクチャと一緒にされているのも謎。深い考えもなく、現行の高度試験の区分を無理矢理3つの新分野にまとめようとしているだけなのではないか。ちょっと強引すぎる。最終的には3分野すべて合格してフルスタック人材になるのが望ましいというなら、別に9分野バラバラに受験していってもいいのではないか。各区分3科目・計6時間の論述試験は体力的に相当辛いと思う。

また、基本情報や新応用情報の合格が受験資格になるかもしれないとの情報もあるが、知識を問う選択問題や記述問題が全廃されてしまうのもちょっと思い切り過ぎなように思える。基礎知識なんかAIに聞けば全部分かるだろ、という思想なのかもしれないが、AIの時代だからこそしっかりした土台的かつ体系的な知識を身につけておかないと適当なコードを吐き出すAIに振り回されるのがオチ(現場は今そうなりつつある)なのではないかと思うのだが。

 

そもそも自分が情報処理技術者試験を受けようと思い立ったきっかけも、ド文系でコンピュータサイエンスの学位どころか高校数学も怪しいレベルのままその場しのぎのハッタリで現場をしのいでいく仕事ぶりに疑問と危機感を感じたからで、エンジニアとして基礎的で体系的な情報技術の知識・教養を学びたいという思いがあった。

しかし、今後の情報処理技術者試験はこうしたニーズには背を向けて「専門家の育成」よりも、そういうのは全部AIに任せてそれを使いこなすスキルを持つ人材の方を増やしたいという意向がうかがえる。ユーザー企業にありながらITを理解し、AIを駆使してデータを利活用する人材…昨今のIPAのDX重視の姿勢とも整合性はあるが、私のようなエンジニアの受験目的にはちょっと合致しない。IT系でベンダーニュートラルな専門資格って、もう支援士くらいしか残らないのだろうか?

IPAからの公式発表が未だにないため、最終的な判断は保留したいが、少なくとも現時点で報道されているような試験区分・試験方法では来年以降も受験するかは考えてしまう。

 

歳のせいもあるが、肩を壊して登山ができなくなってしまったり、身の回りの様々な前提というか「日常」とか「当たり前」が崩れてきて"無常"を強く実感する今日この頃。世の中の動きもどんどんキナ臭い方向に傾きつつあるし、いつ何があっても対応できるように心の準備をしておかなければならないかも知れない。
とはいえ、今はネスペの勉強に打ち込むだけか…モチベーションを取り戻さねば…!

2025年の振り返りと2026年の目標

2025年は特筆すべき収穫が何一つなかった。
今年は突然の東京出社命令、ネットワークスペシャリスト試験不合格、右肩のケガによる登山の断念など、ままならない現実に打ちのめされる1年だった。運動不足と油断もあって体重もリバウンドで若干増えてしまった。
とはいえ、通勤に時間を取られても、ケガをしても、時間をやり繰りして手を動かせばエンジニアとして自己研鑽はできたはずだ。心が折れて無気力になってしまったのは自分の弱さでしかない

 

だが、気落ちしても始まらない。去年があまりにも上手く行き過ぎたのもある。年が変わるのを機会に色々と仕切り直しをしたい。
来年の目標は今年とほぼ同じだ

 

結果がついてきてくれれば尚良いが、来年の今頃、また後悔することのないよう自分の100%を出し切ることが最重要の約束だ。ままならない現実でも、必死になって抗えば何らかの光明は見えるはず。

まだ終わっちゃいない。ここから抜け出すんだ。

龍勢祭

またまたかなり前の話になるが、10月12日に今年2回目の訪問となる秩父へ行ってきた。今回の旅の目的は吉田地区に鎮座する椋神社の例大祭、かの有名な『龍勢祭』を見ること。このお祭りは毎年10月第2日曜日に開催されるのだが、ちょうどこの日は情報処理技術者の秋試験日にあたり、秋実施のデータベーススペシャリスト試験を突破するまでは行くまい…と決めていたお祭りであった。

どんなお祭りかについては説明不要だろう。YouTubeなどにも沢山動画が上がっている。秩父贔屓の私としてはこのお祭りに行った経験が無かったのがずっと心に引っかかっていた。そして昨年、データベーススペシャリストに合格したので、ようやく念願叶ってこの日の訪問となった。これも約束の一つである。

 

つい何度も来てしまう"聖地"

秩父地方はアニメツーリズムにとても親和的で、特に『超平和バスターズ三部作』については未だに秩父市の市街地でも幟やポスターを見かける。今回訪れた時はすでに終わっていたようだが、今年は『心が叫びたがってるんだ』公開10周年ということでコラボイベントをやっていたらしい。

 

っていうかここさけって10年前…!?

それだけ聖地巡礼に来るファンが絶えないのもあるだろうが、秩父の住民の方たちの義理堅さというかホスピタリティにも心が温まる。龍勢祭でも、TVアニメ放映から14年も経つにもかかわらず未だに『あの花』に因んだ龍勢を打ち上げている。
その「あの花龍勢」が打ち上げられる瞬間をこの目で見るのも目的の一つだった。
(正確には真の公式「あの花龍勢」自体は2023年でラストだったのだが、その後も「あの花」の名を冠した龍勢は地元の人たちによって続けられている)

 

龍勢会館ではあの花龍勢の展示が見られる

龍勢と呼ばれるロケットはただ火をつけて打ち上げられるだけではない。儀式として奉納するため、打ち上げ前にそれぞれ口上が述べられる。「東西~東西~♪」で始まる、流派ごと、打ち上げる龍勢ごとに異なる口上を聞くのも祭りの醍醐味の一つだ。口上の内容的に、今年はあの花というより10周年となる「ここさけ龍勢」だったのだが、打ち上げは見事成功。めでたし(なのだが、写真撮影には失敗…)。

 

過去には火花が山林に引火し、火災発生した事故もあったようだが、今年は特に大きな事故やトラブルもなかったのも幸いだった。失敗して龍勢が山の中に落ちた場合、ドローンが落下地点に急行するなど安全対策もアップデートされているようだ。

現場に急行するドローン

 

日没ギリギリ、17:00近くまで龍勢は打ち上げ続けられた。
心配していたインバウンド勢はほとんど見られなかった。ネットではかなり有名なはずだが、日本語圏以外では意外とマイナーなのかもしれない。
祭は地元の職人・住民たちによる手作り感にあふれ、賑わいつつも終始和気あいあいとした雰囲気だった。打ち上げに成功する龍勢があれば皆で歓声を上げ、失敗すればため息をつく。楽しい時間だった。

 

 

十二月記

受傷してから半年経ったが、相変わらず肩のケガは治らず…
11月に一度施術をしてもらったことで四十肩的な症状は大分緩和され、ある程度日常生活には不便しないようにはなり、慢性的な痛みに悩まされることもなくなったが、やはり以前のようには十分に肩が曲がらない、痛みも完全に引いたわけでもない。

医師によると、また自分なりにネットで調べた限りでも腱板損傷は相当に厄介なケガらしく、完治は難しいとの話だった。リハビリは今も続けているが、果たして再び登山できるようになるまで回復するのかは不明瞭な状態…会社からはいつから完全復帰できるのかとせっつかれるし、悶々とした日々を送っている。

 

気晴らしにアマプラで映画やアニメを見まくっていたが、今年観た中では『銀河特急ミルキー☆サブウェイ』がとても面白かった。ショートアニメなのに各キャラクターの掘り下げと関係性、成長までしっかりと描写されていて、それでいてギャグも絡めたテンポのいいストーリーにリピート再生が止まらなかった。来年劇場版も上映されるらしいので期待だ。

『アポカリプスホテル』はやたらと一部で絶賛されていて、途中まではそれに同意できたのだけど、後半から怪しくなり終盤持ち直したものの最終的には「まあ、悪くはない(他人には勧められない)」といった評価に落ち着いた。
途中、理不尽に男性が殴られてフォローもない、いわゆる"暴力ヒロイン"描写(個人的に苦手)が出てきたところまではまだ我慢できた。しかし「運営も宿泊客も非人類という世界では、死生観・倫理観もこれまでの常識では考えられない形に変容する」というテーマを結婚式と葬式の同時開催というエピソードで説明していたにも関わらず、直後のエピソードでホテルで変死者が出てしまった事件をスキャンダルとして処理しようとするのは、ヤチヨがまだ「死を"穢れ"とみなす古い人類の価値観に囚われている」と受け取らざるを得ず「シリーズ構成何やっとんじゃい!」となってしまった。
加えて、ヤチヨがこの件をもみ消す「不祥事の隠蔽」という悪しき日本企業しぐさに奔走する描写も自分の中でかなり印象が悪かった。ヤチヨさんはそんな人(ロボット)じゃないと思っていたんだけどなぁ…。やはり10話、10話さえなければアポカリプスホテルは名作たりえたのだが。

 

さて、昨今は物価高で遠出も気軽にできない世の中になってきている。去年の話になるが、有休を取って平日に伊根の舟屋に行ったのだが町は外国人観光客でごった返していて旅情もへったくれもない経験をした。自分の中にあった伊根の静かな漁港というイメージは崩壊してしまい落胆も激しかったのだが、日本全国の観光地がこんな状況では今はわざわざ高いお金を出して遠出する甲斐はあまりないのかも知れない。

加えて今年の肩のケガで登山や遠方への旅行はすっかり控えるようになってしまった。ここ最近だと県外への旅行は秋に秩父へ1回行ったきりだ。

 

それよりも今は雌伏の時。遠出をするよりも「ここでできることをやれ」という天命なのかもしれない。それはそう。そろそろ映画やアニメも大概にして机に向かう時だ。来年は切り替えていく…!